阿久悠の「日記力」を読みながら
図書館で借りる。
日記力―『日記』を書く生活のすすめ (講談社プラスアルファ新書)
- 作者: 阿久悠
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/06
- メディア: 新書
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日記をつけているわけではないが、最近は表現力の本をとにかく読み込んでいるところで、かつ、あの阿久悠の本ということで気になった。
本編では作詞憲法15カ条も披露しているのだが(基本、〜なのか、のロジカルシンキングでいうところのイシューで書かれている。阿久悠がそうしたメソッドに精通していたというよりも、自分の作るものに対しての必ず俯瞰して捉えようとしていたのではないだろうか。それも素晴らしい)、日記憲法五カ条が提示されている。
1.いい子でもなく、悪い子でもなく、冷静な観察者としての日記というものは成立しないものだろうか。
2.レストランのメニューから米大統領の演説まで、およそ興味を覚えたものは、同格に書けないものか。
3.日々の不快を排除したら、それはもう日記と呼べないものであろうか。
4.受けるものと、発するものと、一ページの中でたたかわせられないか。
5.今日があり、世界があり、そして、自分がありという書き方ができないか。
あの阿久悠が今自分が思っているようなことを2.で自らに問いかけていたのかと思うと思うと感慨深い。また、最近英語学習の書籍でも書かれていたのだが、インプット、アウトプットはどちらか一方だけでは前に進めないという実感することしきりで(これは英語学習だけではなく、さまざまな学習だったり、日々の情報の中にあっても同じかと思う)4.では、さらにそれを自らたたかわせていくことを求めている。
阿久悠の描こうとしているものが「世界」だったのだということを改めて知るとともに、今、アウトプットにまた臨もうとしている自分へ勇気をいただいているような感じがした。
また、
メモを取るということは、情報の洪水に溺れずに、情報を流す側に操られないように、自分の価値基準で何を拾うかの訓練にもなるでしょう。